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園芸家、愛好者層とその背景

江戸時代の園芸の特徴として、階級、性別を超えた愛好が挙げられる。これは当時日本を訪れた外国人によっても言及されている。園芸の推進役としては、部屋住みと呼ばれる家督を継げない旗本や御家人の非嫡男の存在が大きかったが、その他武士全般、武家の女性、僧侶や遊女、商人、農民等にも広く行なわれていた。下町に暮らす庶民も植物を何か栽培することが普通であった。また園芸の愛好家として集まる場合には士庶の区別もやわらぎ、身分差の緩衝の場としても機能した。ただしフウラン(富貴蘭)のように、始めの内は特定の階級(将軍、大名、旗本等)のみに愛好者が集中していた植物もある。ある御家人の母はサクラソウを愛し、重箱に寒天を流し固めて、そこに様々なサクラソウの品種の花を挿し並べて鑑賞することを考案して評判になったという。松平定信も園芸好きで知られ、自邸の庭園「浴恩園」にはサクラやハスなど多数の植物を収集し、それらの図譜も著わしている。

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イベントとして花を見ることも盛んに行なわれ、徳川吉宗は1720年、江戸市民の憩いのために飛鳥山に桜を植栽させたが、このような例は全国各地で見られた。また寺社の境内等ではキク、ボタン等の展示があり、堀切菖蒲園や小高園(初のハナショウブ園、1856年頃開園)のような、特定の植物を集め植栽して江戸市民の娯楽に供した観光施設も生まれた。向島百花園(1805年開園)や亀戸天神のフジ、浮間ヶ原のサクラソウなど都市内やその近郊には花の名所も多く存在して行楽の対象となり、四民が身近に花、植物に触れる場所となっていた。

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2009年08月17日 14:12に投稿されたエントリーのページです。

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