当主を失った扇谷上杉家は断絶、敗走した関東管領の山内上杉家もこの後急速に勢力を失い、数年後には上杉憲政が居城の平井城を追われ、越後の長尾景虎を頼ることになる。同じく敗走した古河公方の足利晴氏もこの直後に御所を包囲され降伏、隠居し北条の一族である義氏に家督を譲ることを余儀なくされる。長尾景虎は憲政から上杉姓と関東管領職を譲り受け、一字拝領して上杉政虎と名乗ることになり、関東の覇権を北条家から奪い返すために関東征伐をおこなうも果たせなかった。
一方、北条家は関東南西部で勢力圏を拡大し、戦国大名としての地位を固めることになる。甲相駿三国同盟の締結により駿河今川家や甲斐武田家との対立に終止符を打つと、関東制覇を目指し越後の上杉家や佐竹家との抗争を始めてゆく。
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河越城の戦いは、約10倍の兵力差を覆しての勝利として、戦史上高く評価されているものの、合戦があったとされる年は史料によって異なったり、実際に夜戦であったかなど、不明な点が多い合戦でもある。合戦に勝った北条家からの感状類の現存が無いことから、大規模な合戦ではなかったとの説もあるが、戦場とされる地域から刀疵のある兜といった出土品があり、少なくとも何らかの戦闘自体はあったとされるのが一般的である。 なお、川越夜戦の激戦地と伝えられる東明寺(川越市志多町)の境内に河越夜戦跡の碑が建てられており、当時は一名を「東明寺口合戦」とも言われたと碑文に記述がある。